介護保険申請の実験談 第3回
増澤喜一郎 
 さて、前回は介護の認定のため、区役所に出かけたことをお話しした。今月は、その続きである。
 快く応対してくれた窓口嬢の河野さんから、(1)かかりつけの医者に渡す診断書(かかりつけの医師がいない人には区役所が教えてくれる)、(2)仮の介護保険証(本保険証が認定に必要なため、その間の代わりとなる)、(3)その他説明資料などを手渡しされてから約一週間、自宅の電話が鳴った。
 藤本と名乗る女性の声で、「介護申請の件で、○日○時にお宅に伺います」という。申請をしたことのない方のために説明しておくが、これは増澤の云うことが怪しいから調べに来るということではない。申請手続きの一環で、申請書を提出すると、次は「認定調査」という段階に進み、区役所の専門職等が自宅を訪問し、心身の状態などを聞き取るという仕組みになっているのだ。
 しかし、申請したことのある方はお分かりだと思うが、本人にとっては人ごとではない。なにしろ心身の状態について七十三項目、特別な医療に関する十二項目の質問があるというのだから、電話を受けた瞬間から、そわそわとして落ち着かず、口の中が乾く。おれは心臓の強い男だと思っていたが、本当はいたって小心者だったのか。訪問のその日まで、何ともいえず落ち着かない日々を過ごした。

 結果としては案ずることはなかったが、現在、この私の心境と同じ体験をしているのが柳橋さんである。
 八月中旬、足が不自由になっている柳橋先輩に、私は介護の申請をお勧めした。
 「動けなくなってしまってから、家族に言われて介護申請をするのでは、もう遅いですよ。私と一緒にぜひ申請してみましょうよ」
 「あんたがそういうなら、申請してみようか。でも、足が悪くて区役所に行けないんだ」
 申請は本人がいかなくてもいい。柳橋さんの場合、宮崎女史に代行してもらった。彼女、お隣ということもあって、喜んで区役所に手続きに行ってくれた。
 その柳橋さんから「認定調査」について、なんども電話を頂戴した。やはり不安で心配らしい。電話では心許ないので、夜、お宅にお邪魔して、紙に書いて説明したが、落ち着かないご様子。「増澤さん、すまんなぁ」とお礼をいわれたが、その心細い心境は手に取るように分かる。
 その帰り道、NPOを立ち上げて良かったと痛感した。福祉行政が行き届いたといえ、介護保険一つとっても、受ける側には心理的な不安が多い。家族が少なくなった高齢者の家庭で、頼りになるのは親しい隣近所だが、人の好意だけに甘えるわけにはいかない。
 その点、NPOなら面相を見るのが仕事だから、心理的な負い目もなく堂々と介護を頼むことができる。経済的になんの心配もない木村さんご夫妻からも「私たちのために早く活動してよ」といわれる理由もよく分かる。

 めずらしく涼風の吹く夜道、ふと「いぶき会」の会長だった柳橋先輩の元気だった昔を思い出した。ある事情があって当時の私は、この日限山を去らなければならなくなっていた。そのとき「こんな良いところはないんだから、終生、ここで暮らそうよ」と、なんども熱心にわが家に説得に来てくれたのが柳橋さんだった。
 そういえば、夫婦げんかをして家を飛び出し、やけになってバス停でたばこのポイ捨てをしていたとき、だまって吸い殻を片付けてくれた三田さんのお母上も、私に無言の教育をしてくれた恩人だ。
 そうした諸先輩に対するご恩返しとして、行政と違って血の通ったお世話ができる。これこそ、まさにNPO「総ぐるみ福祉の会」の理想だ。何としても成功させなければならない。