看取りの風景
増澤喜一郎 
 前号の「母を看取ってまもなく家内が骨粗鬆症になった云々…」と言う小林一彦氏の介護の一文に接して、久し振りに「看取り」という言葉に接した。なんと懐かしい、なんとはにかみに満ちた言葉かと思う。
 数年前、日光へ行った帰りに仲間と竹久夢二美術館に立ち寄った。作品は、地元旅館の女将の収集だという。能登の金沢郊外の温泉場を訪ねたことがあるが、ここにも夢二美術館がある。当地に逗留した夢二が何十枚かの女性画を書き残したと聞いた。郡山市でも夢二展覧会を開催するそうだ。「夢二、夢二」とお盛んなことだ。
 若い娘さんに人気のある夢二だが、「女遊びも芸の肥やしのうち」と許された大正ロマンの頃とはいえ、まとわりつく女性たちと浮気を転々と繰り返した絵描きではないか。
 どの絵にも共通する夢二独特の、あのうなじからふくら脛までの曲線、ひ弱な女性がみせる羞恥の姿態…。私は、あんな隠微な不潔な絵を見る気がしない。妻を三人も替えた男。よくもあんな男の絵に、女性たちはキャアキャア騒いで見ていられるものだ。
 私は、彼は生活態度を軽蔑する。最期は、信州富士高原結核療養所でひとり寂しく死んでいったそうだが、おそらく何十人、いやもっともっと多い、先に逝った女たちの亡霊が「おいで、おいで」と手招きしたことであろう。
 ところが、今年の冬のことである。ここに掲げた『病むおじいちゃん』の絵を発見した。枕元の薬瓶と薬袋。病気の老人に、そっとにじり寄り、何か声をかけようとする孫娘。
 嗚呼、この清純な孫娘。この静寂な風景。この老いたる老人こそ、まさに夢二ではないか。
 「これが夢二だったのか?」食い入るようにこの絵を見つめるうちに、動悸がし、目頭が熱くなった。夢二一生一代の大傑作だ。よくぞ後世に残してくれた。夢二に対する私の過去のイメージが吹っ飛んでしまった瞬間である。思えば、「看取る」とか、「死に水」とかは死語に近くなっている。
 さて、私は現在、NPO総ぐるみ福祉の会で、介護手続きとその相談、介護保険利用者負担金の集金などの仕事を担当する傍ら、自称「サンダルヘルパー」として町内を回っている。
 サンダルヘルパーとは、私の造語だが、ヘルパーの資格は無い。ただ「介護だ、介護だ」と言っては、サンダルをつっかけて困った人のところに出かけ、世間話や相談などをして、真に親しい関係になることだ。常人が見たら笑うだろうが、日頃厄介になった知人の御家族と一緒に「看取り」に立ち会える程、大勢の人と親しくなりたいと町内をうろついている。
 八十一才になろうとしている自分だが、ぜひサンダルヘルパーの仲間を大勢作り、夢二晩年の傑作を実現していきたい。